「──母上、父上! どこじゃ!? どこにおるのじゃ!?」
真っ赤に燃える景色の中を、何度もつまずきながら走る。
立ち上る熱気を掻き分け、無我夢中で走り抜ける。
走り抜けた先、だいたい自分の家があった辺りで立ち止まり、声を上げた。
「母上!! 父上!! わしっ、クロノはここに──ひゃっ!?」
柱を焼かれた家が傍らで無惨に崩れ、高らかに紅蓮を巻き上げる。
その拍子に横殴りの突風が吹き、受け身も取れないまま地面で身を打った。
無造作に地面に叩きつけられ、全身に痛みが走る。
その痛みに、思わず嗚咽が漏れた。
「……母上っ、父上っ…う…、うぅ…」
痛い、熱い、苦しい、怖い。
「……う、ぐ…、………母上……父上……っ」
辺り一面に広がるのは、肺を焼くかと言わんばかりの熱気。
地面から上げた視線には、燃え朽ちて形を無くしていく家々が映る。
その光景は、地獄だった。
「……けほっ、けほ…っ」
煙が喉の奥にまとわりついて、息をすることさえ満足にできない。
心も身体も、もう疲弊しきっていた。
意識と共に、視界が急速に閉じていく。
「(……はは……う…え……ちち……うえ…)」
口を動かすが声を出すことさえ叶わず、木々の焦げる音を耳にしながら意識を失った。
◇◆◇◆◇
「クロノ、起きなさいってば!!」
「……う、む…?」
目を開くと、呆れたような表情を浮かべたイスカと目があった。
熱さも息苦しさもない。
「……うむ、おはよう、イスカ」
「はい、おはよう。もう昼過ぎ……って、なんか顔色良くないわね? 嫌な夢でも見た?」
「……筋肉質な男どもに囲まれる夢を見た」
と、頬を掻きながら遠い目をして見せる。
「うわぁ…。とりあえず顔でも洗ってきたら?」
「そうするかのう」
無駄な心配をかけまいとして適当な嘘をつき、そのことに少し罪悪感を感じながらも、洗い場へと足を向ける。
その足取りは起き抜けとは関係なく、少しばかり重い。
「(……未だに火を見ると心が騒ぐ。忌々しいものじゃな…)」
騒ぎ立てる心と記憶を掻き消すように、手のひらで受けた水を何度も勢いよく顔にかけた。
◇◆◇◆◇
「……うぐ、やはりオルランドの部屋か…」
イスカの後ろ姿を追いかけるままに歩いていると、あまり居心地の良くない部屋の前にたどり着いた。
「妙に小綺麗に身支度しておると思ったら…」
そう口にしつつイスカに目をやると、こちらなど気にせず手鏡など取り出して手ぐしで髪を整えているところだった。
「変なところは、ない……うん、ないはず…」
「そのような些細な見てくれで、殿方の気を引こうとは健気なものじゃなぁ」
「……クーローノー…?」
「すまぬすまぬ、この口はあとで叱っておくでの」
「もう…」
しばらくして気が済んだのか、イスカは小さく頷いてから部屋の戸をノックした。
相手も頃合いだと意識していたのか、ほどなくして戸が開く。
「イスカにクロノ。わざわざのご足労、感謝するよ」
戸の間から、いかにも気の優しそうな男が顔を出した。
「いえ、そんな、私は大丈夫ですし、クロノなんて使い潰す方が難しいくらいタフですし…」
「はは、気遣い感謝するよ」
「(イスカよ、うぬはわしをなんだと…)」
一度問いたださねばならない、と本気で考えたが、聞いたら聞いたでショックも大きいだろうと思い首を振った。
「さて立ち話もなんだ、続きは部屋でしよう。取りかかっていた仕事も区切りがついたから、お茶でも淹れようと思っていたところなんだ」
オルランドに促されるままに、いかにも高価そうなソファに腰を下ろす。
すぐに目の前のテーブルにお茶やら茶菓子やらが出され、イスカとオルランド自身には熱いお茶を、猫舌で熱いものが苦手な自分の前には、アイスティーが置かれた。
「(……この心遣いに、ころっとやられる輩が多いこと多いこと…)」
一口飲んで、思わず美味いと言いかけた口を、再び茶につけることで無理矢理塞いだ。
「さて、薄々感づいているとは思うが、報告書について確認したいことがあるんだ」
そう言ってオルランドは、自分達が提出した報告書を取り出す。
その目に輝きが灯りつつあることを、自分は見逃さなかった。
「(あー……これは来おるな…)」
そう思った直後、オルランドは勢い良く席を立った。
その様を自分は茶の注がれたカップに口をつけながら見上げ、傍らのイスカも分かっていたとばかりに、平然と茶を口にしていた。
「この“黒い華”とは何だろうか! 寝る間も惜しんで数多くの文献、過去の資料、ギルドのデータベースを漁り倒したのだが、この“黒い華”に関する情報は一切得られなかったのだ! つまりこれは、未だ私たちが知らない現象だ! 実に興味深いじゃないか!!」
「(この発作は治らぬものか…)」
「文面だけでは物足り……理解が足りなくてね! 実際に遭遇したクロノの話を聞きたいと思ったんだ!!」
と、息を荒げながらオルランドは最後まで言い切り、再びソファに腰を下ろした。
最後まで言い切ったことで幾分か落ち着いたのか、ばつの悪そうにオルランドは頭を掻いた。
「……いや、すまない……悪い癖が出てしまったようだ…」
「気にするでない、人間誰しも欠いた部分はあるじゃろうて。しかしそうか、うぬが調べ上げても何も出てこなかったか」
「オルランドさんがお調べになっても出てこなかったってことは、私たちじゃもっと難しいですね…」
イスカと顔を見合わせ、黙り込む。
報告書は出す前に自分も目を通したが、イスカが作った報告書に書き漏れなどは無かった。
事務的に有益と思われる内容は全て開示したつもりだ。
「その様子だと、あまり語れる内容も無いみたいだね…」
口を結んでしまった自分達を見て察したのか、オルランドはやや残念そうに俯いた。
釣られてイスカも申し訳なさそうに目を伏せる。
その様子───もちろんイスカの様子であってオルランドではない、決して───を見て、何か伝え漏れたものは無いかと、あの華の様子を思い出す。
「……ああ、そうじゃ。あまりに曖昧ゆえ、報告書に書けぬこともあった」
自分の言葉にオルランドは顔をあげ、わずかに首をかしげた。
「書けない…? 感覚的なものかい?」
「そうじゃ。小童(こわっぱ)どもが言いそうなほどに稚拙な感想じゃよ」
思い出した記憶の中で、最も鮮明に覚えていたのは感覚だった。
不気味という言葉だけで片付けるには、少しばかり生易しい。
禍々しい気配……瘴気(しょうき)が辺りに満ちているかのように、何とも落ち着かなかったことを身体が覚えている。
しかしそれらは実際に相対したからこそ理解できる感覚で、文面に走らせるには一方的な感想でしかない。
ゆえに、報告書にまとめる内容としては不要だった。
「……とまあ、こんな感じかの」
思ったありのままのことを述べ、茶菓子の一つに手を伸ばす。
たまたま手の内に取った一口サイズの饅頭をそのまま口に放り込むと、上品な甘味が口の中に広がった。
「……ふむ、なるほど…。なるほどね…」
まさに感想という域を出ない内容であったが、この男にとってはその程度のものでも得難いものに感じているようだった。
饅頭を飲み込み、手に付いた饅頭の皮などを舐めとる。
「……満足してもらえたかえ?」
「……そうだね、うん。これはもっと調べた方が良さそうだ」
「くふふ、また知識欲がうずくといったところか」
「ちょ、ちょっとクロノってば、そんな病気みたいに言って失礼じゃない…」
「いや、いいんだ。たしかに病気みたいなものだからね」
オルランドはイスカをやんわりと手で制し、苦笑した。
「でも、今回ばかりはそれだけじゃないと言っておこうかな」
そう言ったオルランドの表情からは、先ほどまでの柔らかな印象が消えていた。
「実際に話を聞いて、この“黒い華”には僕なりに危機感を覚えた。この一件、僕の方で引き続き詳しく調べてみるよ。まだ、昨日今日で手の届く範囲しか調べていないからね」
「そうか茶化してすまぬ。わしらでは確実に行き詰まっておったじゃろう。よろしく頼む」
どうにも嫌な予感しかせぬのじゃ、と言いかけて口を閉じる。
急き立てるような言動で焦らせてしまうのは、思うところではなかった。
「オルランドさん、他のお仕事もあるでしょうし、無理には…」
イスカが彼の体調を気にかけるが、僕にも自由時間は有るよ、とオルランドは言って笑った。
イスカはその自由時間を削ることを心配して言ったのだろう、何とも言えない表情を浮かべていた。
「……さて、長居させてしまって申し訳ない。二人ともゆっくり休んでくれ」
「オルランドよ、あまり気を張るでないぞ」
「心配してくれるクロノを見れただけでも十分だよ」
「ぬかせ、この色男めが…。ほらイスカ、帰るぞ」
「え、あ、クロノ! あ、オルランドさん、美味しいお茶ありがとうございました! ……待ってよクロノー!?」
「またね、二人とも」
オルランドのその言葉を背に受けながら、自分たちは彼の部屋を後にした。
◇◆◇◆◇
「はぁー、もっとオルランドさんと話したかったなぁ…」
「もう嫁にもらってくれとでも言いに、夜這いしてくると良い」
「それで成功する保証があるならするわよ!」
「(……するんじゃな…)」
軽口を叩き合いながら、自分たちの部屋へと足を動かす。
その道中、ふと思い出したことを口にする。
「そういえばイスカ、任務中の通信の不備の原因は分かったのかのう?」
「ああ、あれはね。新人の子が波長とか回線とかのデータの届け先を間違えちゃってたみたいなの。私は誰も出ない端末にずっとコールしてたってわけ」
というわけで、その事に関してのお咎めは無しよ、とイスカは溜め息を漏らした。
「なるほどのう。して、その新人は少女か? 少年でも良いぞ」
「……クロノ…」
「そう睨むなイスカよ、わしも悪い癖が出ただけじゃ」
きっ、とイスカはこちらを睨んだあと、やれやれと額に手を当てて首を振った。
「はぁ~…、お願いだから前みたいに勝手に部屋に連れ込むのは……って、あら」
「む?」
「ほら、向こうから歩いてくる人…」
と言って前を指差すイスカの指に釣られて首を動かすと、見知った人物が二人視界に入った。
「……ほう、また気の利いた巡り合わせよな、くふふ」
「あ、ちょっとクロノ…!」
自分はイスカに合わせていた歩みを早めて、二人にずんずん近付いた。
「シノー、エルクー」
名前を口にすると、目の前の二人も気付いたようで顔をこちらに向けた。
「あれ、クロノさんじゃないですか」
「あ、く、クロノさん、この前はありがとうございましたっ」
まずエルクが口を開き、シノが大袈裟に頭を下げた。
「あれも仕事じゃよ、まあどうしても礼がしたいと言うなら……って、痛い! 痛いぞイスカ!?」
「そんなこと誰も言ってないでしょ!」
気付かぬ内に傍まで来ていたイスカに耳──頭のてっぺんに近い方ではなく、普通の人間の耳──を引っ張られる。
「はは、やっぱり大変ですね、クロノさん」
「ちょっとした交流じゃというのにのう…」
イスカの指から解放された耳をさすりつつ、エルクに向き直る。
「して、修了試験はどうじゃった? まあ聞くまでもないじゃろうが」
「ええ、クロノさんのおかげで無事に終わりました。本日付で、俺とシノは正式なギルド員です」
「くふふ、そうか。では改めて名乗っておくかの」
自分なりに気を引き締めて、左胸の前に拳を掲げる。
「種別は傭兵、階級は二位非限定のクロノじゃ。≪拳聖≫などとも呼ばれておるが、まあ、深くは考えるでない、くふふ」
「イスカよ。クロノと階級は同じだけれど、種別は管理。クロノの専属オペレーターよ、よろしくね」
「種別傭兵、階級は五位限定、エルクです」
「え、エルクと同じで、種別は傭兵、階級五位限定のシノです! 頑張っていきます、宜しくお願いします!!」
お互いに言い終えたところで握手を交わし、挨拶を終える。
「……さて、寝なおすとするかのうー。なに、機が合えば、また会うことも有るじゃろう」
肩の力を抜いたところで思わず出てしまった欠伸に手を被せながら、目の前の二人を片目で見やる。
傍らでイスカは、やれやれね、と肩を落とした。
「はぁ、もう少し先輩らしくしたらどうなの…?」
「うぬらよー、小さく愛らしいだけが売りの先輩にはなるでないぞー」
「な…!?」
「ではのうー」
イスカに睨まれながら、二人の横を通りすぎる。
エルクは小さく、シノは大きく自分たちに頭を下げ、自分たちを見送ってくれた。
それから五分ほど歩き、自分達の部屋に戻ってきた。
眠気もなかなかに膨らんできており、今ならすぐにでも眠れそうだ。
目を擦りながら部屋に入り、一目散に自分のベッドにダイブした。
「ああ、やはり後輩とは良いものじゃなぁ、和む…。何よりシノの初(う)い反応には心が満たされるものよー…くふふー…」
「……ていうかクロノ、任務中にシノちゃんから自己紹介されてたっけ?」
「いや、エルクが何度も呼んでおったからのう、それじゃ。それより、わしより先に二人に気付いたイスカの方が気になるのじゃが」
「プロフィールファイルよ」
「ああ、なんじゃ、開示要求出しておったんじゃな」
「任務中に必要になるかな、と思ってね」
プロフィールファイルとは、文字通り個人についてのあらゆる情報が記載されたファイルを指す。
ファイルと言っても実際はデータであり、その閲覧は管理端末から行う。
データは開示要求が承認されると、各自の端末にコピーのものが送られてくる。
……と、前にイスカが言っていたのを、ぼんやりと思い出した。
「じゃから顔を覚えておったんじゃな。ふむ、気にかかることは消えた、わしは寝るぞー」
枕に顔をうずめ、本格的に寝る体勢に入る。
「私もそうしようかしら……報告書のまとめって意外と時間かかって眠れないのよね…」
イスカも小さく欠伸をしながら、自分の私室に入っていった。
……と思ったら、すぐに出てきた。
枕にうずめた顔を動かし、イスカに目を向ける。
部屋からすぐに出てきたイスカの耳には、端末から伸びたイヤホンが付けられていた。
「……はい。はい、分かりました。はい…」
通信を終えたらしく、イスカはイヤホンを外した。
ひどく嫌な予感がした。
「クロノ」
「クロノは寝おった。きっと起きぬじゃろう、ぐー」
「まあ、そう言いたくもなるだろうけどね…。私もそうだし…」
でもそういうわけにもいかないのよね、とイスカは支度を始めた。
「ほら、仕事よ。近くに大型の原生獣が出て手を焼いてるみたい、応援に来てくれって」
「嫌じゃー…」
──結局、事後処理やら何やらで部屋に戻ったのは夜になったのだった。